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HISTORY
~絹のふるさと~
入谷からのシルクロード
シルクロードを知っていますか?
それは日本語で〝 絹の道 ”と訳します。
かつて日本では、蚕を飼って繭から生糸や絹を作る産業(養蚕)が各地で盛んでした。
シルクロードとは、その産地や都市を結び、人や物の行き来が盛んだった道のことです。そして、このような賑やかな道は、南三陸町入谷からものびていたのです。
その昔、入谷では砂金が沢山採れました。この金は、平泉の中尊寺を建てた奥州藤原氏にも深い関係があると伝えられています。最盛期は「入谷千軒」と言われるほど栄えて、多くの人が住んでいたのです。しかし、やがて砂金は掘り尽されて、村の生活はどんどん貧しくなっていきました。
そんな時代に生まれた村の若者、山内甚之丞は村のために何か出来ることはないかと考えていました。
一方で、当時入谷が属していた伊達藩では、絹織物の人気が高まり、藩内でもっと生糸を生産しようと計画していたのです。
このことを知った甚之丞は、入谷の暮らしの糧に養蚕業を広めようと、遠く離れた福島へ養蚕技術を学びに行きました。
最新の技術を身につけて戻った甚之丞は村だけではなく周辺地域にもその技術を教え、養蚕は藩内にどんどん広がっていきまた。この地域の気候は養蚕にぴったりで、生糸を紡ぐのに必要な水も豊富で、質の良い絹が沢山採れるようになりました。入谷の絹は「金華山」と名付けられ、伊達藩最高の品質と言われたこの絹から、有名な仙台平の袴が織られたのです。
そして、甚之丞が福島で習った養蚕を入谷で広めて約170年、明治33年(1900年)、パリで行われた万国博覧会で「金華山」はグランプリに選ばれ、入谷の絹が世界でも最高の生糸として認められたのです。
近年は養蚕農家も僅かとなってしまいましたが、工房ではそのコロンとした愛らしいかたちをした繭に日々新しい命を吹き込んで、その伝統を今に伝えています。
”入谷の絹が世界でも最高の生糸として認められたのです”
山内甚之丞
PROCESS
全ての繭は、ひとつひとつ手作業で染め上げています。
1 . ひとつひとつ丁寧に繭玉の中を掃除します。
2 . 洗剤を薄めた水を入れ、空気を抜きながら浸します。
3 . しっかり浸し、気温や湿度により3日~7日置きます。
4 . 洗剤をすすぎ、洗濯機で脱水します。
5 . 付け置きすることで、繭に色が入りやすくなります。
6 . 水の分量を量り、染料と混ぜ合わせます。
7 . 少しずつ染料を溶かしていきます。
8 . だまがなくなるまで、しっかり混ぜます。
9 . 混ぜ合わせた染料を繭に流し込みます。
10 . 空気を抜きながら、しっかり浸します。
11 . 気温や湿度に合わせて3日~7日付け置きします。
12 . 脱水をかけて乾かしたら出来上がりです。
13 . 全28色のカラーバリエーション。
13 - 13
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染色作業は、気温や湿度によって染まり方も違うので、こまめにチェックし繭の色を見ながら浸す時間を調整します。
cocoon のカラーは、ふんわりと優しい色をイメージし、ベースになる9色を、それぞれ3段階のグラデーションに分けた27色と、何も染色しない自然な白い繭の、全28色で構成されています。
この28色を組み合わせてオリジナル商品を製作しています。
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全ての商品はYES工房cocoonチームがデザインし、手作業で制作しています。
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